ユキノ’s diary

ほぼドルオタブログ、あとはサッカー/音楽/本等、日常はちょこっと。かなりノンジャンルのカオスすぎるブログです。ジャニーズや超特急、ミュージシャン等の呼び名に関しては、こちらを参照してください→ https://toshey1024.hatenablog.com/entry/2020/01/01/165301

エール:喪失と再生の物語、その2

前回、何故先に裕一さんのことを書かなかったかと言うと…

 

裕一さんと久志さんのキーマンが、重なっているからです。

 

まずは裕一さん。

①インバール作戦の最前線にいた藤堂先生の戦死…を目の当たりにした裕一さん

「…ごめんなさい…僕は…何も知りませんでした…ごめんなさい…ゴメンナサイ…」

それまで戦争歌謡で士気を高める立場だけではなく思考も戦争一色だった裕一さん、戦争とは何ぞやを体験し、自らが何をしてきたかを思い知ってしまい…

そして、日本に帰ってきて藤堂先生の奥さん:昌子さんに藤堂先生の手紙を渡した時の昌子さんの反応、そして自分の生徒だったひろや君のお母さんからの報告…娘の「ひろや君に会いたい」…

これだけでも辛かったのに、

②戦後、通りすがりの人からの「古山裕一の家ってここだろ?戦争歌謡で儲けたんだろうな」等と「戦犯同様」の言われ様にだんだん「俺の曲でみんな戦争に行った、俺のせいだ…」と自責の念にかられ、曲作りをやめてしまう裕一さん。

 

そして、久志さん。

戦争歌謡を歌うことによって、人々の士気を高めていましたが、終戦後自分の父親を亡くした時に集まった親族や近所の人から「ひとり息子のくせに歌手なんて目指して…」「甘やかされてたのよ…」「戦争歌謡を歌うなんて、戦犯同様じゃないか…」と陰口を叩かれ、廃人と化していく…

 

共通のキーマンは「大将&池田二郎さん」

 

まずは大将。

裕一さんには「戦争は、おめぇのせいではねぇ、おめぇ1人で責任を背負い込むなよ。」と優しく諭し、久志さんには「甘ったれんな!おめぇだけが辛かったと思うなよ!」と食ってかかり…どちらもまず、大将がきっかけをくれた。

2人にとって常に1番の親友、大将。

あー、カッコイイ…

ねぇ、NHKさん!

そろそろ大将にも好い人…出来れば、きほこさんを…お願いします…

 

そして、池田二郎さん。

ズカズカと土足でひとのテリトリーに入ってきて「これを一緒にやらないか?」と自らのアイディアを投げつけてくる人。

デリカシー無さすぎだろ‪w

…と思ったんですが、2人とも、復帰第1作目は、池田二郎さんと作るんですよね…

そういや、ここまでデリカシーのない人は、福島にも豊橋にも、そして東京にも、裕一さんや久志さんの周りにはいなかったですよね…

こういう人、裕一さんや久志さんには必要だったんですね…

 

そして。

栄冠は君に輝くを久志さんが歌ってるシーン。

智彦さんのラーメン屋でラジオから流れるその曲を聞きながら、ラーメンをすする…池田さんと大将! 

裕一さんと久志さんが立ち直るのを助けた2人が、並んで食事をしている姿にジーンときました。

ありがとう大将&池田さん!

 

あと、裕一さんの件で忘れてはならないのは…

永田医師。

感想は先日書きましたので↓割愛します。

https://toshey1024.hatenablog.com/entry/2020/10/23/235100

あの時、永田先生から言われた「落ちろ、落ちろ…どん底まで落ちろ!どん底まで落ちたら、大地にしっかり足をつけろ!」という言葉、裕一さんにしっかり根付いたようですね。

第100回の、裕一さんが久志さんをもう一度歌に誘うシーンで「どん底まで落ちた俺たちだからこそ、歌える歌がある」という言葉に「嗚呼、裕一さんは『どん底』にある『大地』に届いたんだな…そして、その大地を足でしっかり踏みしめたんだな…」と感じました。

 

永田先生の思いは時を超え、裕一さんだけでなく久志さんまで救った…

凄く感動しました。

 

藤丸さん…本当によく耐えましたね…

人が変わってしまった久志さんを、健気にずっと支えて…

音さんや吟さんもそうだけど、藤丸さん、頑張った!

本当に頑張った!

 

再生の物語、完結。

明日はとりあえず、久志さん&藤丸さんカップルのお話だそうで…

藤丸さん、報われて欲しいです。

 

今月中に終わってしまうエール…本当に寂しいです…

智彦さん&ケンちゃんのラーメン屋さん、その後の木枯さん、その後の昌子さん、田之上家のお話、浩二さんの結婚、そして…大将の結婚(きほこさん復活希望)…正直、サイドストーリーだけで幾つも出来てしまうんじゃないでしょうか?

 

そんなサイドストーリーを期待しながら…